整体の歴史と私の立ち位置

整体師を名乗る人は多いですが、みんなやっていることはバラバラ…。実際のところは?

元祖・整体を発展させた独自性の高い技術

 整体を爆発的に広めた野口晴哉氏

2002年、2013年にそれぞれ復刊された野口晴哉氏の名著

日本で「整体」という言葉が大々的に広まった背景には整体協会の創設者・野口晴哉氏の華々しいご活躍がありました(Wikipediaの「整体」のページにも野口氏の名前が見られますが、全く初めて「整体」という言葉を使った訳ではないようです)。

野口氏は、ある時期「整体法」の指導者(施術者自身を指導者と呼びます)の資格が、鍼灸師や柔道整復師のような国家資格として認可されるよう働きかけたのですが、様々な理由により断念したそうです。

一説には、ろうあ者の方が多い日本鍼灸師会など、野口氏の高い評判を恐れた団体の妨害があったという話も聞きます(あくまで噂レベルで今となっては証拠などはありません)。

また、相手の身体の状態を読む整体の技術は、知識重視にせざるを得ない資格試験などの枠組みにうまく馴染まないことも、許認可制の国家資格にする上での障壁になったようです。

整体法「道場」を経て、独自の道へ

私が5年半にわたって師事した井本邦昭先生は、幼少の頃より野口晴哉氏の高弟であった父・井本良夫氏の手ほどきで整体を身に着け、後に独自の技術として発展させた方です。

野口整体の技法は「もう学ぶことのできない伝説の技術」と聞いていましたが、井本先生のもとならば学ぶことができる、と友人に教えられ、井本整体の道場の門を叩きました(今では「人体力学」という独自の概念を提唱されています)。

井本整体のルーツが語られた「整体法2」とベストセラー本「人体力学」

一般の道場生として学び始め、やがて門下生(内弟子)として、計5年半学びを深めました。今は師のもとを離れてから11年になり、私独自の技術になっておりますが、6~7割は井本先生から学んだ技術を研鑽を深めつつそのまま使っております。

当院に通われている方のお話しによると、旧・今市市(現在は日光市)に整体協会の技術を使われる整体指導者がいらっしゃいましたが、すでに亡くなられているそうです。

今まで10名以上の方にその方と「やることや言われることが似ているから安心できる」と、言われています。